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歴史と沿革

当院は昭和20年12月1日に陸軍病院から国立東京第一病院として生まれ変わり、当時の研究検査部門は人員もわずか6名内外に過ぎない状況であった。しかし、病院の充実とともに、昭和24年頃より中央検査部的な組織と機能が求められ、昭和25年には我が国で最初の中央検査システムを採用した研究検査科に成長した。また、昭和27年より、東京文化学園医学技術学校もこの地で誕生し、その実習も研究検査科で担当していた。

昭和36年外来棟の新築とともに、旧外来棟が研究検査科に模様替えされ、750坪の広さを有する研究検査科となり、外来検査室や外科病理室も併設された。当時の人員は実習生を併せると50名を超える人数となり、活気にあふれた時代であったが、その後インターン制度の廃止と病院の新築工事が始まったため、病床数も350床くらいに減少し、一時的に技師の数も23名内外に縮小された。

  • 病理検査室

    病理検査室

  • オートアナライザー(自動化学分析装置)

    オートアナライザー(自動化学分析装置)

昭和46年10月、新装になった16階建ての新病院の2階と3階に移転するとともに、再び人員と設備も逐次整えられ、国立東京第一病院に相応しい新たな臨床検査科が誕生した。臨床検査科は、中央棟3階(微生物、病理、血清)同2階(生化学、一般血液、生理)にあり、放射線治療棟の地下に解剖室、外来・手術棟2階に血液銀行があり、総床面積は1,694平方メートルであった。解剖総数は昭和49年3月末日時点で3,814体であった。更に、昭和49年4月15日、「国立東京第一病院」から「国立病院医療センター」へと名称変更された。

  • コールターカウンターS型(自動血球算定器)

    コールターカウンターS型(自動血球算定器)

  • 国立病院医療センター

時代は平成へと変わり、平成5年10月に国立病院医療センターと国立療養所中野病院を統合し、「国立国際医療センター」として新たに発足した。臨床検査科も臨床検査部になり、昭和61年10月に国際医療協力部が開設されたことを受け、ボリビア、ベトナム、インドネシアなどを対象国とした国際医療協力活動にも積極的に参画していった。

平成15年4月には、病院が特定感染症指定医療機関に指定されたことを受けて、感染症病棟内に検査室を設置し、現在までにSARSをはじめエボラ出血熱、デング熱、MARSなどの疑似症例に対する検査対応にも参画してきた。

平成22年4月には、独立行政法人 国立国際医療研究センターに組織改編され、病院名も国立国際医療研究センター病院と改称され、同年8月、現在の病院建物へと移転した。平成27年4月には、独立行政法人から国立研究開発法人へと移行され現在に至っている。

中央検査部門は、数々の著明な先輩方に残していただいた検査部門組織を継承しつつ、平成27年9月にISO 15189の認定も取得し、我が国における臨床検査のトップリーダーとしての責務を自覚しつつ、さらなる発展と向上を目指しているところである。